スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
.-- -- スポンサー広告 comment(-) trackback(-)

ひとつの時代の終わり

長崎の学会も終わり、気がつけばもう11月も下旬。長崎の今年2度目の学会参加はいろいろな意味で有意義で、かついろいろ考えさせられることが多かった。(観光などはうちの院生ちゃんがブログで詳述してますので、まあいいかな。。でもいっぱい写真撮って来たので合間見てアップしていきます。)学会から帰った日に、岡山戦に参戦。この寒いのに19時半キックオフとはJリーグも何を考えているのだろうと思う。特に日曜の夜に。観客動員アップうんぬん言う前に、こういう基本的なところから考えようか、チェアマンさん。さて何しろこの試合、勝ったのもうれしかったが、ヤスのゴールに尽きる。アレックスからのクロスにダイビングに近いヘッドでどんぴしゃゴール!まさに「高田らしからぬ」きれいなゴールで先制したのだ!今期初かと思ったら今期2ゴール目だったそうだ。いずれにしても背番号9のレプユニをまとう私には最高の瞬間だ。今日は何しろヤスがよく走ってるなー。体の切れがなんか違うし、かなり感情はいっていてクマなみに大声だしてる、そういえばクマもどこかしら殺気立ってる。。
今思うと、きっとみんな知っていたんだと思う。試合後のヤスの顔がすごくうれしそうだった、その時は私も久々のゴールのせいだと思って疑わなかったし、伊藤さんのレポートにもあったように、アレックスとの2トップで残り試合輝きを取り戻す、、と思っていた。

ところで私は最近家で酒を飲まないようにした。夕食を食べに帰ると、すぐさま大学に行って仕事する生活に例の肥満学会以来変えた。一つは体重を落として県民マラソンに臨むためだったし、今もその効果を期待している(実際1ヶ月で3キロ減った)。しかし一番の狙いは夜の時間を有効に使うことだ。私は幸いなことに「研究室専任」
だが、実際はこの昨今の大学の人手不足で、月水金すべての外来を行い、かつ治験担当医師として病棟患者も担当する。院生君がアメリカに留学したため、うちのチームはエース院生ちゃんとテックのあっちゃんだけだ。いまやマウスのゲノタイピングすら大変で、細胞培養もままならない。これでは論文書く時間がないので、何とか夜その時間を捻出しようとしたわけだ(今日は訳あって家にいて、ビールも少し飲んだ、理由は後述する)。そんななか
木曜日、夜子供を高崎まで迎えに行く車の中で、最近はまっている、funky monkey babiesを聞きながら、昔のプライドをとりもどそうとか、自分を追い込んでいた。
そこに一通のメールが来た。ザスパ友達のS先生からだ。「まさか高田とは思いませんでした」と。
そう、ザスパの契約非更新選手が発表になり、彼はいち早くその8名の名を知らせてきたわけだ。私の心の中で緊張の糸が一本切れた。

高田保則選手は「湘南の貴公子」と呼ばれ、生粋のベルマーレ育ちだ。1999年ワールドユース、ブルキナファソ大会ではスペインとの決勝戦でフォワードとして出場。その後も湘南一筋だったが、怪我などでなかなか活躍できないことも多くなり、2005年ザスパJ2元年にシーズン途中で「屈辱」の横浜FC期限付き移籍となった。その後の湘南対横浜FC戦で湘南のユニホームを下に着て「横浜」の選手として出場し、試合後湘南サポに「横浜」のユニを脱いで挨拶にいったのは印象的だった。高田選手との私の対面は2005年ザスパホーム最終戦の横浜FC戦だった。その時の印象は2列目で球持ちがいい選手。しかしぜんぜん楽しそうじゃなかったのをおぼえている。

その後2006年シーズンに植木さんが監督復帰の際にヤスを連れてきた。「お前を前で使うから存分にフォワードとして働いてくれ」といったというエピソードも余りにも有名だ。
そして開幕戦。忘れもしないあの伝説の神戸戦だ。初めて降格してきた神戸に戦前の予想はぼろ負け。なんといってもザスパは前年度ぶっちぎりのJ2最下位だったからだ。しかし前半の神戸の猛攻を零封し、後半よもやの3得点で快勝!
私はその日大学で実験していたのだが、いつものU先生は息子さんと神戸に観戦に行っており、電話がかかったきた「何やってるんだ、すぐにケーブル見ろ!」と。先制したときだった。急いで帰宅してTV観戦。その後ヤスもゴールし、植木さんに抱きついてきたのが忘れられない。
その直後に私と娘はM市の児童遊園「るなぱあく」に行ったのだが、そこで高田親子に会った。当時3歳の娘が、「くるくるカート」に乗っている時、「パパ、後ろ高田だよ」という。びっくりしてみるとニット帽をかぶってショルダーバックをした高田選手がお子さんとカートに乗っていた。カートが終わった際に、意を決して、私は声をかけた。「高田選手、神戸戦ナイスゴールでした」。彼もびっくりしてした。握手した後、子供と一緒に私たちは、「たかだーやーすのりー、げーっと、ごおおおーる」のチャントを歌ったんだが周りが「なんだなんだ」といった顔をしていたのが記憶に残っている。
高田ヤスはザスパの絶対的エースだ、高田が出ないといつもがっかりした。

2007年の鳥栖戦では急造GKをこなし(トラベリングでファールとられたけど、零封)。雨の湘南戦で、植木さんが退場になった時はゴールを鬼神のような形相で決め、徳島戦では相手GKから忍者のようにボールをかすめてゴールした。。。かずかずの印象的なシーンの主人公だった。網膜はく離の再発の際は、私もこのブログで「one for YASU, all for YASU」を書いた。。。本当に思いでは書ききれない。2008年に秋葉が解雇になった時は最終戦のあと、大学の近くのとんこつラーメン屋「響」でもヤスと秋葉に出くわした。。

そして今日。甲府戦だ。前節J1復帰を決めている甲府にアウエイで戦う。私は2005年に松本でバレーと長谷川太郎にぺけぺけにやられた試合を思い出した。
試合開始時刻には大学で治験患者と家族にムンテラがあったので、観戦は間に合わなかった。でもヤスはスタメンであることはJ's goalで知っていた。そして仕事が終わってハーフタイムの時に、スコアを確認すると、なんと菊池のゴールで、ザスパ1点リードのまま折り返し!!急いで帰宅してスカパーを見た。その後、再度菊池の目の覚めるようなミドルが突き刺さり2点目、そして3点目は菊池のキラーパスでヤスがゴール!!!!!!キーパー荻の股を抜く、ころころゴール!まさにヤスらしいゴールだ。

高田選手はJ2出場400数試合でなんと歴代最多ゴールの75ゴールをたたき出したのだ!!歴代2位やそれ以下はほとんど外人選手で100試合以内で達成している。どれだけヤスがJ2でがんばってこつこつやってきたかが、証明される大記録だ。
試合はなんと4-2でザスパの快勝!5年前の借りをすこし返した格好になった。試合後、サポに挨拶にいく、ヤスは泣いていた、ヒーローインタビューでも涙をながし、私ももらいなきしてしまった。「最後まで僕らしくやって、笑って終わりたいです」彼はそういった。
私は泣いた、泣きながら夕方走った。「ヤスいままで本当にありがとう!、ヤスは、背番号9は永遠のザスパのエースだ!」

ザスパ草津はひとつの時代を終えることを決意したようだ。それが今後どう作用するかは分からない。
それはどうであれ、J2参入6シーズンで、大きな節目を迎えることは確かだ。もう後戻りはできない。
これだけの決断だ、フロントも選手もサポも、もう引き返せない。。と走りながら思った。

そして、時を一にして、私ももう後戻りできない。「私らしく最後までやりぬいて、笑って終わる」ために。

長文失礼しました。ここまで付き合ってくださったみなさん、ありがとうございました。
今日は飲ませていただきます。
スポンサーサイト
.20 2010 サッカー comment0 trackback0

comment

post comment

  • comment
  • secret
  • 管理者にだけ表示を許可する

trackback

trackbackURL:http://invivochip.blog95.fc2.com/tb.php/144-12f19e75

プロフィール

前橋太郎

Author:前橋太郎
前橋太郎(まえばし たろう)
某大大学院医歯学総合研究科 寄付講座准教授
日常診療における疑問をベンチで解決することを目指すphysician scientist。スローランとザスパクサツ群馬をこよなく愛する。

最新トラックバック

FC2カウンター

FC2カウンター

現在の閲覧者数:

検索フォーム

ブロとも申請フォーム

QRコード

QRコード
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。