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だるま食堂のこと

平日の大学当直の時は、夕食に南病棟レストランを利用する。19時30分まで営業していて、19時頃行くとがらがらだが、当直者とわかると、コーヒーをおまけにつけてくれたり心遣いがうれしい。さて先日当直したときに、上州豚のトンカツ定食を注文した。値段880円。食べながらふと昔のことを思い出した。
昭和50年、福岡市東区香椎花園前に住んでいた私の家族は、父の胃がん再発という悲劇に見舞われた。父の故郷のG県に新しく県立がんセンターが出来るということで、そこでの治療目的に一家はG県O市に引っ越して来た。新幹線が東京博多間を結んで間もないころで、ちょうどその年、「赤ヘル軍団」の広島東洋カープがセリーグ初優勝し、通りかかった広島駅は赤一色だったのを覚えている。当時小学校3年生。いまのうちの下の子と同じ年だ。福岡に比べ、O市は寂しく、暗いイメージだった。初めて冷凍のマグロを食べて、福岡で食べていたマグロとあまりに違うので驚いた。当時はまだ関越道もなく、新鮮な魚介類が内陸のO市には入りにくかったのかもしれない。私は肥満児だったので運動も不得手で、新しいクラスではよくいじめられた。言葉も私は九州弁でなまってたのでなかなかみんなとなじめなかった。母は父の看病で疲れきっていたし、妹はまだ4歳だったので小さく手がかかった。そんな状況だったので、母はしばしば3人の夕食を作る気力を失っていた。今ならコンビニや弁当屋などまず食うに困ることはないが当時の食事の用意は一苦労だ。
そんなとき、家の前の八瀬川つたいに親子3人で歩いてよくだるま食堂へ行った。だるま食堂は総合O病院のすぐそばにあり八瀬川のたもとにある伝統的な大衆食堂だ。そこの主人が当時のNHKのど自慢の司会、金子アナウンサーによく似ていて、私は密かに「金子さん」と呼んでいた。しかしそれが災いして「金子食堂」といい間違え、冷や汗をかいたことがある。
いまでこそ八瀬川沿いは整備されライトアップされたりして、春には桜の名所となっているようだが、当時は街灯もあまりなく暗い道だった。夜のだるま食堂にはほとんど客はなく、我々親子3人だけのことが多かった。そこで、食いしん坊の太っちょだった私がいつも頼んだのが、ヒレカツ定食。だるま食堂の最も高いメニューで720円。うちが大変なことは薄々わかっていたが、食い意地のほうが増していた。
36年経って、南病棟レストランのトンカツ定食が880円なのだから、当時としては高価だったろう。母と妹が何を注文していたかは覚えていないが、母は経済的に苦しかっただろうに私の注文にここ良く応じてくれた。デブの子供が不憫だったのかもしれない。そもそも当時外食は特別な日以外にはしなかったものだ。ヒレカツ定食がどんな味だったかも覚えていない。満腹になっていただろうに、食堂を出てとぼとぼ歩く帰り道がひどくさみしくみじめだったのをよく覚えている。
あれ以来だるま食堂に行ったことはない。それどころかまだ営業しているのか確認したこともない。もしやっていたらもう一回行ってみたい気がする。食堂に入るとなぜかこのだるま食堂のヒレカツ定食を思い出す。こんな話を子供たちにしても、全く理解できないだろう。まあ幸せなことで、それはそれでいいのだが。

.21 2011 医療ねた comment3 trackback0
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プロフィール

前橋太郎

Author:前橋太郎
前橋太郎(まえばし たろう)
某大大学院医歯学総合研究科 寄付講座准教授
日常診療における疑問をベンチで解決することを目指すphysician scientist。スローランとザスパクサツ群馬をこよなく愛する。

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